代表挨拶
私は石屋の三代目として、生まれながらの石屋の家系で育ちました。子供のころから毎日、石とお墓に囲まれ、当たり前のように自分は石屋になるものだと思い、18歳で石屋の世界に入りました。愛知県岡崎市の夜間学校に通いながら、日中は石屋の仕事をするという毎日でした。
3年間の修行を終え、山下石材に帰ってきたのは昭和60年頃の話です。当時は景気も良く、順調で忙しい毎日でした。
38歳で私が代表になり、父の跡を継いだ頃、やはり時代の流れというもので、墓石を格安で販売する新規参入・石材量販店が多く立ち並ぶようになりました。それと同時に山下石材の最も自慢である、高い技術を持っている職人の細工加工技術や施工が次第に軽視されるようになってきたのです。
日々悩み、暗くうつむいていた私に転機が訪れたのは、平成16年の頃でしょうか。
「なぜお墓は必要なのだろうか」「そもそもお墓とは、一体何なのだろうか」という疑問が沸き起こってきたのです。お墓はお骨を納める場所・・・ただそれだけなのだろうか。
「お墓を創ることが生業としている私が、それではいけないもっと勉強しなければ」と、その日からお墓や墓地についての勉強と研究を始めました。お墓は思想・宗教・民俗学・歴史・文化と密接に繋がっており、その専門家に師事して更に必死で勉強と研究を重ねていきました。すると次第に、私たち石屋がやらなければならないことが見えてきたのです。
それは日本人としてのお墓「日本人のお墓」を作り、伝えることなのです。
祖父から父へ、父から私へと伝えられたお墓作りは、私にとって先祖から子孫へと受け継がれていく血の流れそのものです。そう感じずにはいられないのです。
祖父から父へ、父から私へと伝えられたお墓作りは、私にとって先祖から子孫へと受け継がれていく血の流れそのものです。そう感じずにはいられないのです。
お墓に行けば父母に会える。その父母との会話を楽しむ事のできる「お墓」を創りたいのです。私は今、お墓の本質を探る為、鎌倉時代の日本人のお墓に興味を持ち、その頃のお墓作りをする事により、体で感じるように努めています。それは「ノミと槌(つち)」で作るたたき仕上げの仏塔です。力のある、まさに魂のこもった墓石といえるでしょう。
今現在、このお墓を作ることによって、本当の意味のお墓作りというものを社員とともに感じています。
これからも学び、考え、そしてお墓を創り続け、「お墓から感じる日本人の心」を多くの人に伝え続けていく所存です。
これからも学び、考え、そしてお墓を創り続け、「お墓から感じる日本人の心」を多くの人に伝え続けていく所存です。