想い
五輪塔
2013-01-08
私は今までにお墓や宗教、民俗学に至るまで勉強をして参りましたが、勉強をするにつれ、鎌倉時代のお墓、つまりは「古代日本のお墓」を作り出すことがお墓の本質なのではないかと
いう考えにたどり着きました。
その中のひとつの形、五輪塔を簡単にご説明させていただきます。
五輪塔は上から、宝珠形の空輪(くうりん)、半円形の風輪(ふうりん)、三角の火輪(かりん)、円形の水輪(すいりん)、方形の地輪(ぢりん)という、5つの部位で成り立っています。
この空・風・火・水・地の「五輪(五大:ごだい)」は、宇宙を構成する5つの要素です。そしてこれは大日如来のお姿を現すものなのです。
古代インドで生まれたこの思想は、日本では弘法大師空海が中国から伝え、真言密教の教えとなりました。
空海が入滅し平安末期、その五輪の思想に基づく五輪塔が立てられるようになりました。その後、現代まで850年もの間、時代によって色々な身分の人たちが様々な意味合いで五輪塔を建てました。
(下記の区分を参照)
覚鑁(かくばん)上人が、大日如来と阿弥陀如来が一体であることを説き、浄土教の浄土思想と真言密教を融合させることにより、墓塔や納骨の容器として新たに五輪塔を生み出しました。
(五輪塔の形は大日如来様と阿弥陀如来様が鎮座されているとしている。)
「大日如来(阿弥陀如来)の化身である五輪塔を墓塔とすれば、成仏して西方浄土へ往生できる」という教えを高野聖(こうやひじり)(※1)達が全国に広めました。
以来、浄土思想と共に普及した五輪塔は、日本を代表する歴史的な墓塔と言えます。
【平安時代】
末期に真言密教と浄土教を融合した思想が完成。
五輪塔や分骨器が作られた。
【鎌倉時代】
皇族・貴族・僧侶・武士が菩提寺や墓地に建立。
一方で、高野聖が全国の埋葬墓地に広めた。
皇族・貴族・僧侶・武士が菩提寺や墓地に建立。
一方で、高野聖が全国の埋葬墓地に広めた。
【室町~江戸初期】
主流は武士の建立。
高野聖が全国に広め、民衆に一石五輪塔が普及。
(高野聖の弾圧)
主流は武士の建立。
高野聖が全国に広め、民衆に一石五輪塔が普及。
(高野聖の弾圧)
【江戸中期~幕末】
主流は武士。民衆は一石五輪塔。(檀家制度成立)
主流は武士。民衆は一石五輪塔。(檀家制度成立)
【明治~現代】
民衆も自由に建立。高級墓のイメージが成立。
※1:全国に五輪塔を広めようとした僧のこと。高野山を中心とした熱心な念仏集団